法学部

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1.一般論としての「法学部」 ここでは法学部の特徴について概説する。まず法学は青春を賭けるのに値する学問であると確信している。なので、法学部に行きたい、あるいはすでに学んでいるという人。あなた達の選択は正解である。 第一に、法学部で4年間勉強すると、何が身につくのだろうか、と最初思わないだろうか。 まず思いつく答えは、司法試験などの資格試験や公務員試験に受かることだろう。そういうものを目指す人たちにとっては、何よりも生活の糧となる専門的訓練を身につけたことになる。 しかし、法学部の学生も、卒業すればだいたいはサラリーマンになる。そういう人たちには何が身につくと思うだろうか。 法学部の卒業生が異口同音に言っていることだが、大学で数年間学んだからと言って、ポンと人間の価値が上がるわけではない。だから、北大法学部卒業といったような『学歴』をレッテルのように考えないことだ。こういう風に考える人間が案外多い。むしろ、大学で学んだことというのは、就職すると知識としては忘れてしまうものも多い。 しかし、それでも自分の中には何か残っている。あるいは、働いているうちにジワジワ出てくると言ってもいい。当人は気づいていないのだが、考え方のパターンみたいなものが身についている。この“ジワジワ”っていうのをもう少し詳しく説明したい。

一般に法学部の卒業生と話していて、法学部出身者の特徴として共通にあげるのは二つだ。 第一は問題解決能力。何か社会的な紛争がおきたとする。その時に、意見を出しあって、議論をたたかわせて、落ち着く所はこの辺だろうな、という結論を感じ取る力が、知らず知らずに身についている。やはり、法学部で判例をモデルにした紛争解決処理を色々と聞いているからだろう。 そして、紛争の決着していく先を堅実に先取りするだけではなくて、その結論をみんなが納得するように、理由づける力も、かなりつく。これを一般的には“リーガル・マインド”とか言っている。 こういう問題解決力は、すでに生じた紛争を事後的に解決するわけで、いわば『うしろ向き』だ。それに対して第二に『前向き』の能力として企画力が身についている。例えば企業に入って、何か目標が与えられたとする。その時に、アイデア、人間、状況の流れ、を上手く組み合わせて、目的を達成していく力だ。全体にキチンと、目配りして、そのうえで実務的に処理するというのが、法学教育の一つの柱だとされている。卒業後4〜5年の若いうちから責任のある仕事をポンと任されて、試行錯誤しながら、なんとかかんとか形をつけていく人が多い。“いざ”という時とか、新しい事業のとき、たよりにされる。法学部卒業生は社会に出てガンバっテいるのだ。   それともう一つ。『筋をキチンと通す』というのと『好奇心があって、けっこう柔軟だ』という定評もある。人権感覚と実践的な適応力が共存している。法学部というと、規律でコチコチというようなイメージもあるが、そういう柔軟性に欠けたルール一辺倒という人は、キッチリ法律を勉強した人にはいない。もちろん人権のような大切なものはキッチリ守ろうとする。しかし、ルールというものは柔軟に適応してはじめて生きてくる、ということをよく知っているので、変な意味で頑固ではない。 結局、人間の社会の中で、自分の生き方を決める力がつく。 読者の中には“自分にそんな力がつくかどうか心配だな”と思われるかもしれない。しかし、それこそ“ジワジワ”ついてくるので、大学では力をつけるための貴重な手がかりがえられる、というように考えるといい。継続した学業によって必ず実力が付くようになる。

第二に、法学部と聞くとどんな人が入学してくるのか気になるだろう。前述のように、‘法学部出身’なんていうと、やはり弁護士や役人なんかになる人が多くて、部厚いメガネをかけて部厚い法律書を開いて、変にむずかしい議論をする、カタイ人が出てきそうなんで、ワーイヤだっていう感じにならないだろうか。法学部にそういう印象を持つ人もいるだろう。 たしかに、これも前述した通りだが、‘法’学部というぐらいだからそう思われても仕方がない。でも、法律にとても縁の深い職業に就く人は公務員(いわゆるお役人)を含めても、学生全体の2割だ。8割の人は、銀行、メーカー、商社、流通、ジャーナリズム等様々な業種の民間会社に就職している。こういうサラリーマンだけでなく、自分でビジネスをはじめる人、教員や研究者になる人も時々いて、実は法学部は、とても間口が広いところなのだ。もっとも、これはあくまで一般論で、北大法学部では、後述の通り、法曹や官公庁に就職する学生が大勢いる。

まずは、法律の専門家になる人について話した方がいいだろう。法学部の卒業生の中には、色々な法律をマスターして『司法試験』やという法律家になるための国家試験に合格し、弁護士、裁判官、検察官、つまり法律実務のプロとして活躍している人がいる。他にも法律に関連する司法書士や行政書士、税理士、弁理士の国家資格を取得している方も大勢いる。 それから、法学や政治学を本格的に研究するために大学院の修士課程、博士課程に進学し、学者や研究者になる者もいる。 それから、裁判所の書記官や前述した司法書士、また会社に入って法律実務と関連が深い『法務』という分野で働く人々がいる。 特に最近は、国際取引が急増しているので、どこの会社でもこの方面の専門家は引っ張りだこだ。

公務員の方は、国や地方公共団体の『公務員試験』に合格する必要があるが、これは学生全体の15%と言われている。そうすると、法学部というところは、法律家や公務員になるために法律を勉強するわけではないことが分かるだろう。このことは例えば、アメリカやイギリスの法律家を養成する学校と対比してみるとはっきりしている。日本の法学部と同等ないしそれ以上の高等教育機関であるアメリカのロー・スクールもイギリスの大学院も、いったん大学を卒業した人が、プロの法律家になる意欲を持って入ってくる養成コースになっていて、そこで訓練を終えた後は、たいてい法律家になる。これと比べると、日本の大学の法学部は大学を卒業した人でなく、高校を卒業した人たちを念頭に教育している。その分、法律の技術的な訓練の比重はそれほど重くはなく、勉強することの幅は広くその結果、様々な分野で活躍している。

多くの高校生・受験生は、大学を受験する時には、学部で何をするのか、その中身はほとんど知らないままではないだろうか。だいいち卒業した後、どんな就職をするなんてはっきり考えている人、そんなにいないのではないだろうか。大学で過ごしたから分かるのだが、大学で教えている研究者の人達の立場からすれば、入学する学生には〝よしっ、大学では何かをしよう〟という気持ちで入学してきてほしいと考えている。なので法学部は、いろいろな勉強ができるところですから、どんな職業を志望する人でも、〝失敗した〟なんて思うことはない。

最後に読者の中で法律家や公務員に少しでも関心があればひとこと。例えば北大にはプロの法律家を志望する学生にも応えるような教育をしておられる方が多い。そういう先生の指導や辰巳法律研究所、伊藤塾などの予備校を通じ、司法試験にも公務員試験にも、わりあい短期間の勉強でスパッと合格している人もいることも念頭に置かれるとよい。司法試験や公務員試験って〝難関〟だから、特にできる人でないとダメなんじゃ…と思い諦める人も多いだが、それは勘違いだ。成績優秀な学生は商社や銀行などの会社に進む人も多い。司法試験などは、やり方はキチッと確立して絶対の勉強量を確保するのが重要で、飛び抜けたセンスが要求されるわけではないのだ。 この点について、前置きになるが、北大法学部には学部の公認団体としてたとえば北法会などがある。北法会は,将来の法曹(裁判官・検察官・弁護士)をめざす司法試験受験生間の情報交換・受験勉強の効率化のためのネットワークである。入会すると,各種資料の閲覧・利用,北法会自習室の利用,合格者による受験カウンセリング等ができる。また,4月から早速,新入生を対象に,北大の先生方が「夜間法学教室」を開いてくれる。入学された際にはぜひ参加してみてみるといい。他にも法律相談室や裁判問題研究会、公務員を目指す在学生のための団体である北公会などが学内にサークル室を持って活動しており、同じく法曹や国家公務員を目指す多くの在学生と出会えることだろう。もっとも、受験勉強は基本的に予備校のネット講義で独学することが基本になっていく。法学部を含め大学には自由に利用出来るパソコンルームがたくさんあるので学修環境の心配はない。また、法学部は本図書館と通路で結ばれており、大変便利だ。

2.北大の「法学部」 ここで、北大に話を戻そう北大法学部はすごい。1学年200名ほどの少数精鋭で、各学年30〜40名が弁護士などの法曹、50〜60名が全国の官公庁に就職する。民間就職者も大半が名だたる企業に就職する。 北大の学内で予備校が公務員対策講座を開講しているのが大きい。 以下では、学士会報における東大法学部の講和や北大法学部の公式HPを参照して、記しておく。もともと北大法学部は東大法学部を暖簾分けしてできたところでもあるので、東大法学部の環境と比較的親和性がある。 結論から言うと、北大法学部は普通の所ではない。それは、現在の日本で「日本の大学とはこんな所だ」として時々言われるようなことの多くが、少なくともここには当てはまらないと言う意味である。 例えば、新聞報道等によると、現在の日本の大学の中には、授業中に学生が私語をする所もあるそうだ。しかし、ここでは、そのようなことは全く経験したことも、聞いたこともない。 また、教授・准教授も極めて教育熱心である。講義・演習の準備には多くの時間をかけ、渾身の力を込めて授業にあたっている。 また、例えば「日本の大学は入るのは難しくても、あとは遊んでいても卒業できる。欧米の大学とは大違いだ」などと言う人がいる。あるいは、数ある日本の大学の中にはそういう所も、もしかすると、あるのかもしれない。しかし、北大法学部は違う。期末試験は、それぞれに考え抜かれた問題で、各科目120分行われる。 過去の期末試験問題が楡法会室で閲覧•コピーできるので参考にするといい。解答用紙は冊子体、そして極めて厳格な成績評価が行われる。 その結果、毎年3月には、卒業を希望しながら卒業できなかった学生が毎年一定数必ずいる。その多くは就職も決まっていたであろう。色々困った事態にも陥ったであろう。 しかし、やむを得ない。学士号を授与するということは、国内のみならず世界に向けて、ある品質保証をするということだ。 現に、ここの学士号を前提として海外の大学院に行く人も、多数いるわけなのだkから。 保証できるだけの勉学をしていないと判定されれば、卒業できないのは当然のことだ。北大法学部は、しっかり勉強しなければ卒業できない所である。 したがって、試験における不正行為に対しても、大学は峻厳な態度をもって当たっている。不正行為は教師に対する裏切りであるだけでなく、何よりも、厳しい試験において公平に扱われる権利を持つ学友への裏切りである。 在学生であれば、法学部の基本科目を受験する際に、執拗に「不正を犯した学生には一律に退学を求める」という警告を目にし、耳にされたことを思い出すであろう。あれは、退学させたいから言っている訳ではない。させたくないから、懸命に事前に注意しているのだ。未然に不正の発生を防止したいからこそ、あのように多数の監督者で厳重な監視をしている。つまらない出来心で、たった一度の人生の航路を誤らないよう、強く忠告されている。 要するに、北大法学部は、講義や演習をなめてかかり、試験をなめてかかり、つまりは学問をなめているかのような、現在の日本で時に言われるような大学――本当にそんな大学があるのか知らないが――ではない。 学修環境については、北大法学部の提供する人的・制度的・施設的サービスは、存分に利用するだけの価値がある。 例えば演習だ。ここでは、演習参加が義務化されているが――それにも本当は弊害があるのだが――、しかし、演習を一度でもとるかとらないかで、学生生活も大きく変わる。小さなクラスの制度が教養棟にいた時もあったかと思うが、法学部においては、演習がその代わりの機能を果たしているからだ。 まず、演習に参加したか否かで学生生活への満足度がはっきり違う。これまでに演習参加者同士の結婚が少なくなく、その場合の満足度はさぞかし高かっただろう。別にけしかける訳ではないが……。演習は、基本的に教授・准教授全員が開設している。各学期、大体20、つまり年で約40の、様々な主題の演習があるに多彩だ。毎学期、違う演習に参加することも可能であり、通年単位のゼミもある。演習で、教授たちと直接に議論し、似た関心を持つ優秀な学友の前で発言し、報告し、検討する――そういう少し晴れがましい緊張と楽しみとを味わえる。そうして、報告の準備の仕方、報告の仕方、質問の仕方、答え方、討論の仕方等をも実地で学ぶことができる。この作法は一生の宝物となるだろう。さらに、ゼミや演習によっては、英語を使った討論大会や国際大会で活躍するところもある。非常に国際色豊かな活動が展開されている。 また、法学部へ進学して最初の学期は必修科目が多く展開されていることもあって、大人数で同じ教室での講義が多いが、時間割を見れば明らかなように、その後は中小の教室での講義が主になっていく。是非、それぞれの関心に従って、それらにも積極的に出るといいだろう。出席学生数がいかに少なかろうと、その分野の研究に生涯を賭けている研究者にとってはそれが晴れ舞台だ。 とりわけ中小の教室で、時には先生とやりとりしながら、現在進行中の先端的な学問状況の話を聞かれる時、「ああ、この学部に来てよかったなあ」と感じられるだろう。また、無論、他の学部の授業にも関心があれば、どんどん出るといい。この大学のどの授業にも出られるというのは、素晴らしく贅沢な特権である。 また、法学部では頻繁に種々の講演会も開かれている。色々な方を呼んでいると思う。それらにも、どうぞ出かけてみるとよいだろう。

さらに、北大では、法学部棟と直結したあの巨大な本図書館を利用出来る。学生のための、個人用ロッカーも、自習室も、談話室も、いずれも昔はなかったものだが、今は(量的に充分とは言えないものの)ある。無論、情報端末室や情報基盤センターなど、インターネットにつながる端末も用意してある。予備校の講義も聞きやすい環境だろう。個人的には情報基盤センターもオススメする。 在学生でも受験生でも、折角、北大法学部の学生となり、そこで学んだのなら、その素晴らしい特権を、たった一度の短い人生の中のこの貴重な数年間を、充分に活かしてほしい。そして、今から、(順調なら)3,4年後の、あるいは(1年留年して)4,5年後の、あるいは(さらにもう1年留年してぎりぎりの)6年後の卒業式の日に、美しく芽吹こうとしているポプラ並木やエルムの大木を眺めながら、「ああ、ここで勉強して本当によかった、自分はここで知的・精神的な意味で成人した」――そのようにしみじみと感じられるようにしてほしい。そのための人的・制度的条件は、かなり揃っているはずだから。